風の時代のこと。
冬至の日。
こんなに節目をワクワクして待ったことはないかもしれない。
イベントや行事ごと、日にちを覚えるってことにとんと無頓着な私だけれど
今回ばかりはついつい意識してしまって、
忘れようとしてもついつい待ち遠しくなってしまうので
本当に考えないように努力していたほど。
さて、今日、いよいよ。
最近はただただ静かに過ごしている。
時間や移動に意識をとらわれることなく
静かに過ごすこと。
最近そんな日常があたりまえになって
その贅沢さを満喫している。
いよいよ今日になってみて、いつものように静かに過ごしていると
思い出されるのはあたりまえの日々たち。
一緒にご飯を作ったこと。
食べたこと。
お菓子を焼いたこと。
食べさせてくれたこと。
子連れでクラスしていたこと。
授乳しながらパソコン業務をしていたこと。
一緒にヨガしたこと、踊ったこと。
海に行ったこと。
川に行ったこと。
散歩したこと。
お宮さんの階段を一人で登ってくれたこと。
一緒にパフォーマンスしたこと。
たくさんの子どもたちと森の中で踊ったこと。
お友達とご飯食べたこと。
子どもから離れて授業を受けたこと。
神社に行ったこと。
一緒に畑したこと。
子犬と遊んでいたこと。
一緒に車で東京に行ったこと。
バリカンで髪の毛を切ったこと。
地味でなんでもない時間だと思っていたことが
なんてキラキラの素晴らしい宝物だったんだろうって
ひとつひとつ思い出される。
これからは形のないものの価値が認められる時代。
愛とか調和とか、優しさや思いやり。
創造性や表現力、繋がり。
「そんなことやっていたら生きていけないよ」
「もっとお金になることやりなさい」
「金の切れ目が縁の切れ目だ」
「そんな人と結婚したって不幸になるだけだよ」
(改めてひどいこと言われてきたんだなぁ。。。。)
笑われて、馬鹿にされて、否定され続けていたことが
大切だね、ありがたいね、素晴らしいねって言ってもらえる時代。
世間に何を言われてもやりたいことは変わらないけれど
その度に悲しくって、痛くって、ごめんなさいって思っていた。
それでも「ごめんなさい」って思いながらどんなに傷ついても続けてきた。
そんなのない時代に生まれてくれば楽だったろうけれど
それを体験してきたからこそ、その中で続けてきたからこそ
私はとっても強くなったし、優しくなったし、大きくなった。
世間が優しいだけで、私も楽になれる。
24歳の時にスワミに言われた。
「あなたの魂はすごく自由な魂だから、これからはもっと『自由』に生きなさい。」
私は泣いた。
「私は自由なんてわかりません。」
スワミは言った。
「探しなさい。あなたの中にあるから。」
大泣きして日本に帰って。
それから何年も何年も「自由」ってなんだって探した。
高校のダンス部でガチガチの軍隊教育を受けてしまった私は
「自由」ってなんだろうってもがき続けた。
失敗して、痛い思いして、脱線して、
ちょっとずつちょっとずつ発見していった。
自由っていうのは好き勝手にやることではない。
完全なる調和の中で自然に生まれてくる。
その調和をどうやって積み上げるか。
どんな調和の中に自由を生み出すか。
私の「自由」の質はどんどん良くなっていった。
そして私は今、家族とともに
ほとんど完全に近い「自由」をシェアしている。
私たちが自由であり、
満たされていて幸福であること。
全ての存在に支えられて、
この魔法のように美しい現実の世界が成立していること。
頭の中で思い描いたことが、そのようにそのまんま現実となって行くこと。
魔法のようなこの世界。
風の時代に入り、その速さや規模は拡大して行くのだろう。
だからこそ一人一人が、もっともっと美しい現実を思い描いていけるように。
みんなみんなで、この美しい世界を、もっと多様に美しく豊かにして行けるように。
冬至の夜の瞑想会。
今日は無料で皆さんに入っていただけます。
メッセージくださいね!
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