ヨガのこと

ヨガのこと
初めてヨガに出会ったのは24歳。
体育大学の運動科学学科舞踊学専攻で解剖学や教育論、指導法を学んだ後、
インドへ旅立って、布一枚を巻いて暮らしているスワミジと
そのお弟子さんの日本人のヨギニのところに弟子入りしての修行だった。

西洋的な戦後の教育論をガッツリやって、
体育の教員免許なんかもとった後での衝撃的なヨガとの出会い。

たったの24歳。茶髪のパーマ。

宇宙?陰陽?男性性、女性性?プラナ?チャクラ?宇宙の軸?プラクリティ?
アヒムサー?ヤマニヤマ?瞑想?クンダリーニ?タントラ?

ヨガってなんだかすごい体操だと思って始めたけれど、なんか違った。
そんなレベルのことじゃなかった。
魂レベルで違う領域に行くための生き方の練習だった。
初めて聞くようなことばかり、初めてする練習ばかり。
初めての体験ばかり。

修行期間の1ヶ月。
感情に関係なくたくさんの涙が流れて、
わけのわからない未知なるものを見て
自分が思い込んでいた物質世界がガラガラと崩れて行く。

シャバアサナで体験する不思議な感覚。

瞑想で出会った新しい感覚。

理論だけだったら「ふーん」で終わったかもしれないけれど
チャクラを体験すること、瞑想状態を体験することを通して人生の全てが変わった。
だけれど、「よしでは私もヨガを教えよう」という気にはならなかった。

初めてインドでヨガに出会った時の感想。
「これは教えられる人になるまでに15年くらいかかるな。」
深すぎて。ダンスだって何十年もやっていて
まだ教えられるところまで来ていないのに
もっと深いヨガを教えられる人になるにはだいぶ人生が必要。

スワミジには
「あんたはTTCとかとっちゃいけないよ。ヨガはデパートで買えるようなものじゃないから。生き方だから。アサナコレクターになっちゃいけない。ヤマニヤマを守って、一年間は毎朝とにかく同じアサナをしなさい。」

そう言われて、ひたすらベジタリアンの生活とベーシックなアーサナを繰り返す、地味な暮らしを続けた。

今思うと、本当にその時の私をよく見てくれたアドバイスだったと思う。

ヨガを始めた理由はもちろん教える仕事にするためではなく
「そこに何かがある!」と思ったから。
とにかくヨガの道を生き始めても、頑なに教えることを拒んでいたのに、
なぜか2005年の当時はダンスよりもヨガのクラスを依頼されることが多かった。

「私はまだヨガは教えられません!」
と断ってもなぜか強制的にヨガクラスを始めることになり。。。

いざ始めてみると
参加してくれた方がシャバアサナで涙を流したり
私自身もシャバアサナまで行くとエネルギーが上がって、
暗闇の中で横たわる皆さんの美しさに涙が流れたり

「こんな幸せな美しい仕事ってあるだろうか!」
と感動の連続。

おばあちゃんクラスは50人くらいまで膨れ上がり
声が届かないのでピンマイクで教えたり
私の名前を植物につけて育てる怪しいファンや
クラスの後に写真を撮ったりサインを求めるおじいちゃんも現れ
すんごいファンレターやプレゼントをいただく始末。

なぜ?笑
たぶん天職。

教え始めてからスワミジに会いに帰ったときに
「教えることになってしまったけれど、これでいいんだろうか?」
と相談すると、

「人それぞれ必要なものを学んでいってくれるから大丈夫。
   とにかくクラスの外のあなたの生き方で
   ヨガは生き方なんだってことを教えなさい。
   クラスの外であなたがどうしているかが教師として大事だから。」

と言葉をいただく。

教えていることを怒られるかもと思っていたのでホッとしたのを覚えている。
同時に「そんなことできるだろうか?」と不安になったことも覚えている。

インドに通いながら、ヨガやダンスの教室を展開する数年間。
「嬉しいけれど私はまだ完成してないの!」
私の中の私が叫んでた。

「生徒さんもいっぱいいるし、安泰だし、このままでいいじゃない」
と周りは言うけれどその安泰感が怖かった。

「自分には到達すべき境地がある」と言う直感を捨てられなくなって
3年やって全てのクラスを閉鎖。

「私にとって今必要なことは
教えることではなく学んで修行すること。
そして本当に教えられる人になること。」

そうして一区切りをして身体一つダンスの衣装だけもって
ヨガを深めてダンスを深めるために世界に旅に出た。

それが28歳の頃。
そこからさらに10年。


サマディ体験やクンダリーニ体験を経て何が変わったか。

わからない。


結局、子どもを産んで家庭を持って
静かに修行に励む生活とは遠くなった。


けれどここまで来て見えてきた。

そうそう、ここ。

ここにきたかった。

この意識に来たかった。

血が繋がってる子。
それを生み出してから得られたこの感覚。

血液と近くなる動物的感覚。

地球に生きているという感覚。

ヨギは家族を持たず、子どもを作らず、カルマを作らず。。。なんて言うけどね。

先日もスリランカのヨガの先生が言ってた。

「来世では結婚しないで子どもも作らないで、そんなカルマを作らないでヨギとして生きたい。」

私は「ハテナ」だった。

もう違う。
時代は違うのさ。
これから統合して行く時代。
家庭を持ったら戦いの日々だなんて
社会と繋がって生きていたら「俗世間」だなんて。
その中で苦しみが生み出されるだなんて。

喜びを生み出す仕組みを作らないでどうするのか。
その中で喜びを見出さないでどうするのか。

そこで喜びを生み出すのがヨギの道。

超えてこう。
超えてこう。

世間から離れて、安全なところで。
開眼して調和を目指す。

そこを超えてこう超えてこう。

今いる「ここ」が極楽浄土であるように
自分の意識と肉体を進化させて行く。

「変容」させて行く。

オーロヴィルじゃないとできない?
そんなことはない。

どこだって聖地になり得る。

私たち一人一人が
今いる場所を聖地にしていく。

尊い自分の命を
尊い目の前の人の命を
尊い自然を
尊い地球を
大切に大切に味わう。
一瞬一瞬に感謝する。

ひとつひとつのアサナを深く味わうように
朝の光や、夜の闇を味わう。
水の味を楽しむ。
風の音を聞く。

それさえできれば、私たちは出家する必要ない。

たまにイライラしたって。
怒ったって。
それを味わって戻ってくればいい。

呼吸に戻ってくればいい。

私の吸う息は
あなたの吐く息で
あなたの吸う息は私の吐く息。
木々の吐く息。
水の吐く息。
火の吐く息。

全てが繋がっていると
日常の中で観察しさえすればいい。

取り入れる水と
吐き出す水を意識していればいい。

そういうことを私の先生は教えてくれていたのだと思う。

今になってやっとわかるのだけれど。

よい師に出会うことは一生の宝。

師は年齢を越え、場所を越え、
あなたを違う次元に導く。
全てを見通す山の上へ。

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