境界を越えること
プラナヤマの練習がいろんなところに生かされています。
なんだかすごい。
ちょっとびっくりです。
ところで、
やりながら12回をカウントするってところの感覚も面白いです。
初めての頃はシンプルに12回を数えられなかった。笑
考えずに、カラダが自動操縦になるところに行く感覚は面白いのです。
インドには数字のマジックを使った瞑想がいろいろあります。
舞踊の練習にも組み込まれているのですが、
不可能なくらいややこしい状況の中で
頭の中で数えることを繰り返し、
肉体にも数学的な動きをさせていくと
ある瞬間に思考の枠が飛んで行きます。
複雑な反復運動を繰り返しながら
意識は宇宙に飛んで
涙が溢れています。
そんな時、カラダが自動操縦になっています。
しばらくそんな異次元な時間が続き、
「うわーっ」て感情が戻ってきた瞬間に手足が絡まってできなくなる。
スーフィーの回転舞踊もそんな感じです。
自動操縦になると
30分くらい平氣で回転をし続け、
内と外の境目が外れてやっぱり涙が溢れてくるのですが
ふっと思考が戻ってきちゃったところで
途端にクラクラして足がもつれて目が回ります。
次元を飛び越える感覚は思考の枠が外れていく魔法のようで
インドの一流の舞踊家達は、瞑想が当たり前にある文化の中で
意識を飛び越えて行く瞬間をどう作るか
そのマジックを楽しみながら伝統のパターンを作り上げていったのだと思います。
カラダへのアウェアネスや数字のトリックは
地味な練習を繰り返すことで深まっていき、
自動的に起こる「無」=「一体」の体験を引き起こす引き金になります。
私はそれを体験するたびに
呼吸が数分止まっていることもあります。
講義の中で言葉で学んでも、腑に落ちないところは保留して
なん年後かに体験することで初めて腑に落ちて理解する。
ヨガの学びは、そんなことを繰り返して
虫食い状態の地図を完成させていくような感じです。
体験するまではちんぷんかんぷんだと思うのですが、
それがヨガ入り口なのだと思っています。
あとはこの感覚をどう体現していくか
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