アストラルボディのこと。
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ヨガの練習をしていって、プラナという生命エネルギーのコントロールが巧みになっていくと
最終的にシューっと自分のナーディーからプラナを抜いて、
地球のナーディーとひとつになり、
エネルギー体としての存在に戻っていくことができる。
だから私たちはカルマを消化していくために
こうしてアウェアネスを育てながら生きているんだよ。
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そんなことをタントラの先生のまっすぐな青い瞳から教えてもらった時
私はそうなりたいと、心から望んだ。
それはひょっとしたら生きることが辛かったからかもしれない。
だからもう生まれ変わって生きる必要がなくなるのであればそうしたいと
そう思ってヨガを生き方とすることを始めたのかもしれない。
そこからヨガの練習がスタートした。
だけれどいつの間にか、生きることは喜びでしかなくなっていた。
すべてのことが喜びに変わって
すべてのことが知恵になった。
そうするうちに、もっと生きようと思うようになった。
それは私が生きることで、
この地球のエネルギーの調和を取るために
できることがたくさんあるのだと気がついたから。
ひとつひとつのことがらが捧げモノになったら
私の命は喜んで喜んで何度でも生きるだろう。
絶望していたことが嘘みたいに
できることはたくさんある。
あるルールさえ守れば、私がただ楽しんで生きることでさえ、
捧げモノとして機能する。
ひとつひとつのこと。
大きな大きな視野を持つこと。
それは時間軸を超えて、次元の枠を超えて
大きなひとつの命としてこの世界と私自身を見ること。
そうしたら絶望なんて感じる必要はもうない。
いま私の眼の前に現れてくれているアストラルボディの世界。
目の前に現れては浄化されていく、私以外の人のアストラルボディも
すべてはもともとひとつの世界。
切り離されているような気がしていたものたちが
繋がっていた本来の姿に戻って見えてくれていて、見せてくれていて、癒されていってくれて
そして世界のバランスを少し良くしてくれる。
その度に私のアストラルボディも喜んで大きく震える。
昔描いた物語のようだなぁと嬉しく思う。
人間の本質ってそう簡単には変わらない。
私はずーっと、肉体を超えた世界とともにある生き方がしたかったのだと
最近つくづく思う。
そういったことを隠さずにどんどん出せるようになってきたことも
世界の大きな変化のおかげだし、いまの家族のおかげだと思う。
大いなる知恵が滝のように目の前に現れてきては
私の中に染み渡っていく。
わかったと思っても、後から後からどんどんわかってくる。
つまり、まだわかってなかったってこと。
悟りに段階があるのと同じように
わかるのにも段階がある。
ずっとずっとこんなことを続けていけばやがて本当にわかる時が来るのかもしれないし
今は今わかっていることで十分なのかもしれないと思う。
目の前で祝福を受けて、浄化されていく魂を見るたびに
嬉しくて愛しくて涙が出て来る。
そんな話を夫としていられることにも
嬉しくて涙が出ちゃう。
何年も前、10年以上前。
インドの聖地と呼ばれる土地の古い建物の中で
電球に集まる蛾を見ていた時、
そこにトカゲがやってきて、一匹の蛾を丸呑みにした。
その時私はどきりとして涙を流した。
それは多分、真理を見たような気がしたから。
世界中が味方して、私に真理を見せてくれたのだと本気で思ったから。
そういうことが、今も毎日起こっている。
世界というのは本当に鮮やかで美しい。
その残酷さと、美しさと、儚さ、すべてまるごと
私そのもので、宇宙そのもので、あなたそのもの。
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