母、自分と向き合う。
今日もヨガクラスを受ける。
噂のヴィンヤサフロー。
腕がカクカクして笑っちゃう。
こういうのに超真剣に慣れないのが私である。
もう少しコアが強いと
腕の負担も少ないのだろうけれど、
にしても私の手首は細すぎて弱すぎる。笑
生き物として
持って生まれたカラダの能力を最大限に伸ばしてあげたい。
「アーサナが全てじゃない。」
とか理屈に負けて、サボっていたなー。
けどそれも根をつめやすい自分には必要な時期だったなー。
と、まぁ、結局言い訳してサボっていただけである。
カラダの機能
内臓の健やかさや丈夫さだけでなく
筋肉の柔らかさやしなやかさ
関節の可動域、呼吸の深さや質。
そういう生き物としての能力がアップすれば
私がこの世界で表現できる世界も拡大して、
もっと世界に恩返し出来る。
って、このアイディアは子どもの頃からずっと私の頭の中にある。
ダンスというのは結局、
今持っている自分のカラダとココロの質が
外側に表出したものを
人様、神様にみていただくことでしかない。
「作っている」ように思えることも、
自分の「質」が溢れでているだけなのだ。
この肉体を持って体験した経験って裏切らない。
それが私がダンスやヨガを通して、スピリチュアルな道を歩んでいこうと決めた理由なんだろう。
そこが私が学者でなく
アーティストとして役割を果たす根源なのだろう。
カラダにはその人の中の哲学や真理、それに則ったその人の生き方が現れている。
言葉や知識でこの世界を把握するのは簡単だけれど、
ひどく曖昧で時に真実から遠いところに行きやすい。
真理はただ1つだけれど
言葉でお勉強していると
1つでないことがベースの世界で噛み砕くことになるから、
結局真理から遠のいて行く。
私も勉強や読書が好きな人間だから、よくそのループにはまって頭こんがらがって、結局人生こんがらがってた時期があった。笑
初めてのスワミがよく言っていた
「アーサナコレクターや知識のコレクターになっても意味がない。もう十分に知っているから、これ以上必要ないから、それだけを毎日繰り返してなさい。生き方で表現しなさい。」
ってのは、すごい大事な教えだったのだなーと今になってきがつく。
真理は、今その瞬間の
「あなたそのもの」
なのだと思う。
それでしかない。
経験したことは、このカラダと心に
そのまんま「なる。」
もっともっと経験と向き合って、育てていこう。
「私」という
この壮大な宇宙の真理の現れである一粒を。
と、母が自分の人生の個人的な目的と再会している時に、子は公園でパパと仲良く遊んでくれているのである。
夫、神。
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