我が家の生活事情
突然ですが
何を隠そううちの夫、雅人くんは世間で言うところの無職である。
(かといって誤解のないように、彼はダメな男ではないということをまずはじめに言わせてください。
本当に働き者のいい男です。ただいい感じにマイペースで、いい意味でも欲が無く、たまたま経済活動をしていないというだけなんです。)
しばらくは、子育ても家事も私がメインでしていて、お金を稼いでくると言うことも私がしていて、
雅人くんは家づくりなどの、自分のやりたいことをモーレツにやるというスタイルでした。
わたしは料理が趣味だし、仕事も趣味だし、
体力的問題を除けば、好きなことやってるといえばやっていたので問題なかったのです。
何より目の前にいる人がやりたいことを全力で一生懸命やっていると言う状況が何より好きなので
全力で仕事と子育てしながら、彼のやりたいことをサポートしていました。
しかも楽しく。喜びのきもちから。
そうです。
何を隠そう私は史上最高のパートナーなのです。笑
女神とも言います。笑
しかし、先月、「妻が働いて、夫が家で家事をしている」という家族に出会った時に
雅人くんの中でスイッチが入ったらしく
子育てや家事をかなりかなり積極的にやってくれるようになりました。
(おそらく今までは「主夫になったらおしまいだ」と一線引いていたのだと思う。)
朝起きて、洗濯機を回して、私が料理をしたら片付けをして
蓮を遊ばせて、必要な時はどこかに連れて行って
私が仕事に行っている間にご飯を食べさせて、お風呂に入れて歯磨きして寝かせる。
ちょっと前まで歯磨きもさせられなかったのに。
蓮はスーパーママっこで、私が仕事のない時は
ずーっと抱っこして遊んでコアラ状態で
パパの抱っ子を嫌がっていたのに。
一緒に過ごす時間が増えたことで、すっかりパパに慣れてくれ、
私は家にいても蓮と少し離れられる時間が増えて、本当に楽になりました。
夫は金銭をもらうための仕事はしていない状態で
私は疲れすぎて仕事もどんどん減らしていたので、我が家の収入は微々たるもの。
一般的なサラリーマン家庭の4分の1くらいかな。
もっと少ないかな。
多分皆さまの想像を超える少なさです。笑
けれど、今はとてもバランスがとれています。
クラウンドファウンディングとかで、ステキな活動をしている人をみつけると
ポーンと1〜2万円くらい喜んであげちゃう心の余裕もある。
(これ大事!)
お金なんていくら持っていたって
今この瞬間に幸せじゃなかったり、
何かを作り出した人に対して、喜んでそれを受け渡して循環させられないようであれば
本当の豊かさはいつまでたっても体験できない。
心が豊かであれば、
収入の多い少ないに関係なく
いつでも自分の「豊かさ」にきがつくことができて
それを回していくことができる。
循環の中にいる喜びを体験できる。
それって最高の豊かさ。
私にとっては
無理して子育てしながら働いて、疲れるよりも
きもちよくできる程度、
だからこそできる創造的ないい仕事をして、喜んでもらって
夫が家にいてくれて
ほんの今だけの小さい子どもとの
かけがえのない家族の時間を思いっきり楽しむことが心地いい。
これ以上に幸せなことってない。
そう思う。
強がりでなく、本当にそう思う。
最近、「子育て」って言う言葉に疑問を持っています。
「子育て」というモノがあるような表現に。
///「子育て」が大変だから、「子育て」が終わるまでは子ども中心に。///
なんて言うけれど、それって子ども中心に捉えすぎなきがして。
子どもがいてもいなくても、今日という日は大切な私の人生に他ならない。
「子育て期」というのは結局、
新しい仲間が増えた「私」の人生でしかなく、
新しい仲間が増えた「雅人君」の人生とのコラボレーションでしかなく
自分の力で地球に降り立って、新しいチームを作り出した「蓮」の人生でしかない。
それぞれの個の人生があるだけ。
期限付きの「なにか」ではない。
「子育て期だから今は我慢」とか考えるのなんておかしくて、
ただ今日という私の1日を最高に快適に心地いいもののしていくこと。
結局、それ以外に必要なことはない。
そして両親が心地よく過ごすことがチームメイトである子どもへの最高のギフト。
たとえば、
「仕事しているのに保育園にいれないの?」
って言われるのだけれど、実はいれない理由って私自身が保育園と関わることをしたくないから。
普段私たちが食べている食事や、飲んでいる水は保育園のものとはおそらく違うから
入れるとなれば、やっぱり調整してもらうことが必要で
だけど私はざっくりしているし、みんなと仲良くしたいので
あんまり所属するコミュニティに「あれはダメなんです。」とか言いたくない。
それだったら、面倒な手続きとかしないで、
一緒に過ごせる時間を楽しむ方法を工夫した方が心地いい。
小学校や中学校に行く、行かないも、彼と相談しながらそんな風に決めていくと思う。
なんならフリースクールを作りたいと考えてもいます。
その方が絶対子どもの義務教育期間を楽しめそうだから。
(ちなみに義務教育というのは、「教育を受けさせる義務」であって、「学校に行かせる義務」ではないそうです。フリースクールをやっている方情報。)
働き方も、暮らし方も、受ける教育も
古い常識にとらわれることなく
既成概念に縛られることなく
どこまでも自分の理想のものを創り出して行って
それを新しい常識やスタイルにしようとすることもなく
それはそれで流していきたい。
最近はそう思います。
どこまでも自分自身を固定することなく
その時その場所に共鳴して変化していきたい。
それは時に難しいけれど。
やろうと決めたらできるから。
今は、カタチにもならない新しいやり方をそれぞれが実現していい時代。
それをやりにきてるとしか言いようがないほど
物質的にも感覚的にも自由な時代なのだから。
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