youtubeのチャンネルを整理していて、

日本に帰ってきたばかりの頃の動画を発見することに。


まだうまく日本になじめていず

海外の友人ばかりとプロジェクトをやっていた頃。


中国とタイでのプロジェクトでディレクターを務めていたヴァンゲリスと共に作ったのは

3日間のダンスワークショップと一時間半に渡る即興のパフォーマンス。


そのころ,新潟にはコンテンポラリーダンスなんて知っている人はおらず

必死に告知をし、なんとかのべ30人近い人にワークショップに参加してもらい

コンタクトインプロビゼーションを始め

フロアワークなど、新しいダンスワークをたくさんの人に体験してもらうことができた。

カンパニー研修生としてダンス人生で悩んでいる人なども来てくれて、

「生きている」ダンスに勇気をもらったと涙を流してくれた子がいたのも印象的だった。


その当時、私はダンスをするフィールドがないことを嘆いて

新潟でコンテンポラリーダンスを広める活動をしていたのだけれど

コンテンポラリーダンスの土壌というものを体感したことのある人がいない新潟での活動はとても大変だった。


新潟で弟子的な存在もできて、応援しようと支えてくれていたが

同じ言葉を使っても、その言葉の意味や感覚を共有できる人がいないということは

言葉の通じない世界で、相手の知らないものを作ろうとするということと同じで

なんとも言えない不自由さと、つまらなさを感じていた。


今思えば時代が早すぎたとしか言いようがない。


時代は移り変わり、コンテンポラリーダンスがアートの世界から抜け出て

ちょっと古いものになってしまい

過去のモダンダンスと変わらない伝統芸能的な存在になってしまってからは

当然私の興味はそのフィールドから抜け出てしまった。


何が起こるかわからない、あのコンテンポラリーダンスの世界。

クレイジーな人たちが行き交い、得体のしれない新しいものが生まれてくるあのフィールド。


あの世界で揉まれたことは、今私の力になっていて

今の活動の原点になっているとそう思う。


ジャンルという壁すらなくなってくるほどに世界進んで広がっていて

もはやダンスというフィールドを超えたところに本物のダンスがあり

音楽というフィールドを超えたところに本物の音楽があるというこの時代。


毎日がアートであるという人がどんどん増えているのを感じている。


最近、改めて「動く。踊る」ということを人と一緒にやりたい、と思っていて

こんな時代に、どんな風にダンスやヨガを提案できるだろうかと考えているのだけれど

ここまで出かかっていて、出切らない。


私の中で「踊りたい。動きたい」という欲求も高まってきていて

頭のてっぺんから降りてくる「動きなさい」の情報も足の先まで降りてきているのだけれど

もう一つ、どうやってそれをシェアして行くの?

というところでいろんなハテナが出てくる。


実はスリランカで、先方の手違いがあり、

私は自分の仕事をすることができなかった。


こんなに動くこと、教えることから遠ざかったことは自分の人生で無いから

少し戸惑っているのかもしれない。


一度、強制的に自分の仕事、研究と離されたことで

過去のやりかたを忘れてしまった感じ。


じゃぁ、改めてやろうと思うのだけれど

全く新しすぎてどうしたらいいのかわからない。


動いてみると、今までのレッスンとは全然違う動きばかりが出てきて、

じゃあこれをどうやってオンラインで伝えたらいいのか、とか。


とてもいい時期にいることには違いないのだけれど。


大地とつながって、自分の根源と繋がって

呼吸と繋がって、力を抜きながら、しっかり踏ん張って動けるような

それをオンラインで伝えられるようなメニューの組み方を。


イメージして作り中です。



やっぱり子どもがいるから、

自分の仕事や研究に没頭することは難しく。。。

モヤモヤもするけれど。


全然進まないけれど、

まぁゆっくりと。


オンラインセッションを受けてくれている方と相談しながら作り上げていければなと。


それでは、まだまだ寒い新潟ですが

皆様もぬくぬくお過ごしください。



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