エネルギーの融合が起こってからやっと、ヨガを伝える立場に許可が出せたこと。

我が家も世界中の皆様同様、
コロナウイルスをきっかけにふと立ち止まっています。

きっと、多くの皆さんがそうなんだろうな。

私もこの新月まで、ふと立ち止まっていました。
とても動けなかった。

今回、オーロヴィルではプラナヤマの先生との再会もあり
強力なプラナヤマを日常レベルに落とし込んでいくことを確認できました。

トンレンをはじめとする瞑想の時間でもやっぱり、
サマディ(深い瞑想状態)に入っていくためではなく
日常の中で「暮らし」のレベルで瞑想を取り入れていくことを感覚としてキャッチできました。

昨年、私が深いレベルでの陰陽のエネルギーの融合と
クンダリーニの覚醒を体験したワークをシェアしてくれた
タントラの先生の家にお邪魔し、
友人達と儀式のようにフェイスパックをする時間では
日常の中にどれだけパワフルな魔法が潜んでいるか、
日常を操ることがどれだけ現実的に作用するのかということを学びました。

自分が尊敬する「すごい先生」という存在が
価値観を同じとする氣のおける仲間となり、
その居心地の良さと、違和感のなさに
自分自身の生き方、居場所を再発見することとなりました。

私が師として仰ぎつつも、よき友人として時間を過ごした仲間たちは皆、
10代の頃、20代の頃から自分の信じる道を突き進み、
変わり者として扱われながらも
極端なまでに学び、暮らし、暮らしの中でその研究を続け、
そして今ここで中庸をいく人々でした。


私も含め、37歳前後の世代。
世に言うインディゴ世代でしょうか。
この世代が得た究極の体験、つまり、秘技として伝えたれてきたことを
暮らしの中で実践して
自分たちが体験した過程よりも優しくオープンな形に変容し
世の中に少しずつ広めていくことで、世界を変容させていく仲間達。
そういう世代的役割も今回強く感じたことの1つ。
私はこういうトライバルの一員でもあるのだと
世界を渡る国籍豊かな仲間の顔ぶれを見ることで発見しました。

彼らの在り方は自分とそっくりで、
進化の過程や今の想いも同じで
コロンビア、イラン、イタリア、台湾、インディア、
各国から集まったヨガの道を生き、伝えている仲間達と
オーロヴィルという国境の概念を超えた土地で出会い共に過ごしたこと。

日本でもここまで氣のおける仲間、価値観を共有できる仲間は少ないのに
国境を超えても、こんな形で繋がれる仲間がいるのだということに
どんなに励まされたかしれません。

結婚するまで
断食とか、ヴィーガンとか、瞑想1日8時間とか、毎朝毎晩アサナを1時間するとか
瞑想するならサマディ体験にたどり着くまでやらなきゃ意味がないとか
年の半分はインドに行って師の元で学び、
肉体と精神の修行と自由なクリエーションに全てを注ぎ込むという
ヨガにどっぷりと浸かる結構究極の暮らしを10年くらい続けてきました。

とにかく究極のところまでやりたい、知りたい、体験したいと
割とストイックに(それが楽しいんですけど。)取り組んできた自分が
こんなにリラックスして、家族のいる日常と行き来しながら
ヨガの本質と触れ合っていられたことって今までにありません。

それもこれもしつこくこだわって学び続けた10年の体験があったからだと思います。

マイペースでこだわり派な私の準備がやっと整ったのだと思います。

今は自分の想いではないところから強く突き動かされるのを感じています。

「伝えること」をしなさいと。

そう、ここ数年でやっとヨガを伝えることに自分の許可が降りた。

むしろ、ここに来れたら、次は人に伝えることをしなくてはいけないとも感じています。
ここまでの体験を持って伝えることが、さらなる私の学びにもなっていくと。

そうやって脈々と 伝えられてきたことを受け取ることを選び
ついに受け取ったのですから。

とはいえ、いま、私はお母さんになり、さほど自由な身ではありません。
なぜこのタイミングで受け取れたのだろうとちょっと悔しくもあります。
もっと早ければ。なんて。

そして本質的なことをいつも探っている自分としては
やっぱりお母さんとなった今は
「お母さん」であることから学びたいとも思っています。

暮らしの中で陰陽、五大元素を操るお母さんの仕事はヨガそのもの。
こどもと夫の食事を作るだけでも
五感をフル活用してのクリエーション、
季節の波に乗りながら、家族の体調やエネルギーを調整するのはやりがいのある仕事です。


急に人間的な感情のお話になりますが、
今まで、完璧なまでにスケジュールを組んで、
1日の生産性をどれだけあげるかということをやってきた人間にとって
子どもを中心に据えて、仕事を我慢することは時に辛いことです。

私だって自分のスケジュールで動きたいし、勉強したいし、仕事もしたい。
それが叶わないのが今です。

スケジュールを組まない、成り行き任せの練習。

それでもなんとかマネージして、
クラス運営、アーティストとしての活動、一家の生活費や
サスティナブルコミュニティの活動費を稼ぐということを
子どもを背負いながら、めいいっぱいやってきました。

上手くやれていたとも思います。
それこそ、クンダリーニの体験が起こってからは
勝手に、より楽に大きなエネルギーを動かせるようになっていました。


それでも些細なことで心は動きます。

「あー、イライラしてるなー。」
「思い通りにならない、って思ってるなー。」
「自分って無力って感じてるなー。」
「夫ばかりお金の心配せずにやりたいことやってずるい!って思ってるなー。」
「結局、自分ちっぽけなことに振り回されてる」
「またお金のために仕事しなきゃって考えてるなー」

って、そんな自分を観察しています。

だからって今すぐに何も変わらないけれど。

エゴと対話して、自分の欲望を1つ1つ見つめることが今必要な体験。
これってヨガそのものなんです。
心の手綱を自分で握る。

我慢することでも、ほうり投げることでもない。
感じていることを観察する。
ここにヨガを生きることの意義がある。

お母さんであることのチャンスを最大限に受け取ってこそのヨガがある。

それを知っているかこそ、「待って観察する」ことができます。


もちろんいつも平常心でいられるわけもなく
心が揺れ動く中、さまざまな感情を体験し
そこから生まれる自分自身の行動にたくさんの発見をもらっています。


表現者としての私、仕事をコントロールする稼ぎ頭としての私、
コミュニティ運営をする私、母親としての私を
ヨギニとしての私が見守って、育ててくれている。

この女性独特の「産み、育てる」という状況の中で。
(私の場合は個の中での男性性と女性性の融合がうまく進んでいるかもしれません。
バランスをとることの巧みさはもとからの性質です。)
「伝え手」になるからこその意味がある。

今はそれを強く感じています。


コロナウイルスのおかげでスタジオの収入がゼロになり
実質収入がゼロになった我が家ですが
案外あっけらかんとしていて(いずれにせよ、冬はお客様が減るのでもともと収入が少ない)
夫婦平等に稼ぎゼロになったところで、私の気持ちが妙にスッキリとして
「家族を支えるため」に頑張っていた仕事をやっと手放すことができました。

(実は他にもいろいろあったのですが。)

私はお金のためではなく、家族のためではなく
「自分の仕事」として
女性たちに私の体験してきたyogaを(ダンスというのは私のヨガのアサナの1つ)伝えたいと
強い思いが湧き上がってくるのを感じました。

初めて自分の感情からじゃないところで
自分の役割を感じています。

久しぶりの感覚です。
以前からお伝えしていることですが、
ヨガの1つのゴールとされているクンダリーニ(身体の中を巡る電氣的エネルギー)の覚醒や
サマディ(宇宙との究極の一体感)体験は
男性女性によってそれぞれ到達への道が違うと思います。

その大きな理由の1つは
女性には子宮があること。

(これはただの私の直感です。
参考文献とかないです。)

体験してみてわかったことです。

子宮という内なる海を持つ私たち女性は
男性とは違う感性を持ち、受信機を持ちます。

当然、身体からの発信、排出の仕方も全然違う。
排出能力はもともと高い。
(現代人はもちろん低くなっているけれど、この排出能力を高く持つということが
1つのキーワードでもあると思います。)

エネルギー的構造が違うと
クンダリーニの覚醒という、エネルギーの究極の融合という体験の意味も
その過程も、それに必要な肉体の在り方も、精神の在り方も違うし
覚醒がなされてからの在り方というのも
男性のそれとは違うというのが私の体感です。



なんというのでしょう、
たとえば、1人の女性の中でそれが成されることによって
それを体験しない女性の中でも近くのいるだけで
意識の変容やエネルギーの変容が自然と起こっていくような
それくらいの感受性が本来の女性には備わっていると思うのです。


そして「エネルギーの覚醒」ってなにさ?
意味あるの?という方もいるかと思います。

そこ目指す必要なくない?みたいなね。

これに関しては私自身、意味はあると感じます。
昔話っぽいことではなく(仙人が山にこもって光ってる感じじゃなくて 笑)、
近未来(ICチップ入れて人間がバージョンアップしたり、空氣にコンセントさして動く超ハイブリットカーに進化するみたいな感じ。)
っぽくイメージしてください。

ぱっと見、派手な変化はないけれど(人間は人間でしかない。)
スピード感、パワー、受信機能、全てが繊細なところでアップするようです。
人間の別の機能を作動させるスイッチが押される感じです。
全く違った自分の魂の欲求や性質に気がついたりもするようです。

ヨガを始めてすぐの時に
超能力(シッディといいます)が使えるようになりますが(少しすると落ち着いてくる)
それのゆるーいのがお土産でずっとついてくる感じもあります。
言葉で言えるようなものじゃないんだけど
夫が一番感じているし、恩恵にあやかっているかもしれません。

とにかく1つ言えることは
そこにいくまでに心の統制を練習しておくことが本当に大事ということ。
危険を伴うということ。
だからヨガはちゃんとした師についてやるようにと言われているのです。


私はアサナやプラナヤマを組むとき、
その場全体のエネルギーのクオリティーを読みます。

匂いのような感じです。
そしてそこにいる方々のそれぞれの
火 水 土 木 のエネルギーのバランスをとるように
時間的、空間的なところを超えて混ぜ合わせるように構成していきます。

もちろん、時代のクオリティーや季節のクオリティーもよんで取り込みます。
意図しない方もいますが、私は振付家であるということもあり、
割と意図をはっきりとして作っていきます。

それがいいのか悪いのかわからないけれど
それが私の性質です。


とにかくヨガの世界は深すぎて、そしてその恩恵も偉大すぎて
一体、この感覚をどこからどのように伝えたらいいのやら
若造のわたしには途方にくれることもあります。

だけれど、同時にわかってます。
段階を経て、こういう体験を重ねてしまったからには
それを伝える側に回る必要があるということ。

宇宙からお尻を叩かれているのを感じます。
いい加減に、遠慮せずに、恐れずに始めなさいと。

一人一人の中での浄化とアップデートをサポートすることが
わたし自身のさらなるレベルでの浄化とアップデートになるのだと。

現在、スリランカから帰国して1週間。
自主隔離もあと1週間ほど。

今は子守と
オーガニックショップ製作、ゲストルーム製作でなかなか手をつけられずにいますが
ゆっくりゆっくりオンラインコースの製作を進めていこうと思っています。

Yogaに興味を持ってくださる方がいたら
アドバイスやリクエストをいただけると幸いです。

今はこの子が私の一番のクリエーション。

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