パートナーと共に育んで行くこと。
最近、毎週夫婦でタントラのブレスワークに参加している。
私が初めてヨガを学んだグルはタントラの人だったので、
もともと「体験から学ぶ」タントラという教えのもと私は育ってきている。
特に特殊なワークを受けようと思っているわけでもないのだけれど、
出会う人出会う人が、素晴らしい生き方、社会的活動をしているタントリックなヨギやヨギニであることが多く、その中でインスピレーションや素晴らしいワーク、ヨガのクラスをシェアしてもらっている。
私がクンダリーニの覚醒を体験するに至ったワークをシェアしてくれるナディアは
オーロヴィルに住むイラン系イタリア人の女性。
彼女は性エネルギーと愛のエネルギーのブロックを外し、開放し、
人々の意識を覚醒することを得意とするシャーマニックで知的な女性。
今回彼女がオンラインでの3ヶ月コースを開催してくれたため、なんと日本にいながら夫婦で参加できることになった。まだ3週間目だけれど、これは本当に大きな経験となるだろうと予感している。(ちなみに初の参加はオンラインだとちょっと難しいので、2回目以降の人々に声をかけている。そして日本の住宅事情的に自宅で大声を出すようなワークに参加できる人は少ないだろう。)
なぜなら、パートナーと一緒にこの体験を共有できているから。
これは本当に大きい。
今までヨガを通して様々な神秘的な体験をしてきたけれど、どれも私1人での体験だった。
それを2人で共有できることの価値は大きい。
私が伝えているヨギックアルケミー の3ヶ月に渡るヨガのコースを通して、パートナーである雅人くんは本当に大きく変わった。
毎日のアサナとプラナヤマのプラクティスが与える影響は本当に大きい。
自分でも「俺はもうこれから一生朝のアサナを続けて行く!これは人間の義務だ!」
と宣言するほど、その効果を実感して生き生きしてくれているので本当に嬉しい。
全く別人のように、朝早起きをして、テキパキとやりたいことをやって
今まで苦手だった「プランを立てる」ということもできるようになり
すごく効率的に自由に生きるすべを身につけた。
今までよりもずっと楽に楽しく生きることができるようになったのだ。
そして彼は全てを受け入れて、変容して行く準備が完全に整った。
そこでやってきたのがナディアの卵巣呼吸。
いやはや、初日のことは以前も書いた通り。
彼は過去のトラウマを手放し、涙を流していた。
そして2回目、3回目とワークは進んでいる。
2回目のワークでは仙骨の皮がむけて血が流れかさぶたになっていた。
それくらい意識が飛ぶ中、動き続けられるようになったのだ。
男性がここまで行くって結構難しいことなんじゃないかと思う。
ちなみに私はその横で、エネルギーが溢れすぎて
半蓮華座のままピョンピョンと飛び跳ねている。笑
腕までエネルギーが流れすぎて、硬直を通り過ぎて、手踊りみたいになりながら
雄叫びをあげている。笑
多分ワークには入り組んで、完全にイッテいる私が隣にいるせいもあるのだろうけれど
彼はとんでもなく集中し一つ一つのワークに入り込んでいて、
ブロックを外していっている。
さらに寝付いてくれなかった3歳の息子は一緒にその場にいて
たまに呼吸の真似をしたり、2人の雄叫び(喘ぎ声のような感じ)に反応して
呼吸をし続ける夫婦に、頬ずりとキスとハグを浴びせかける。
ワークの間中、楽しそうに幸せそうに、私たちを見つめている。
とんでもない家族だと思った。
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昨日は座位での呼吸ワークだったのだけれど
私は確信した。
これはやっぱりアサナをかなりちゃんとやってなかったら受け取りきれない。
あとはヨガ的な身体のシステムを心身で理解していないと受け取りきれない。
もしくは受け取れる質が全く変わってくる。
やっぱりなんの修練もなく、大きなエネルギーは受け取りきれないのだ。
よっぽど前世で練習を積み上げていて、アウェアネスの塊になっている人でない限り!
その理由は
一つに動きが高度であること。
呼吸に合わせて早い動きを連続的に行うことは身体的に難しい。
早く確実に動けないとその効果は半減してしまう。
もう一つ、意識の観察が困難であること。
半分意識を失った状態に行くブレスワークでは
その身体的な動きとエネルギー的嵐のような動きに
アウェアネスを保って見つめることが難しい。
意識の精度が育っていないと意識を失う可能性も高いし、発狂したりパニックに陥る可能性が高い。覚醒はこのプロセスを「観察すること」が何より大切なことに感じる。
さらに一つ。
エネルギーの覚醒にはコントロールの精妙さ(結局は観察力)が必要とされる。
例えば覚醒したエネルギーがどこに上がって行くか、
綺麗にサハスララに行く可能性もあるけれど、エネルギーのコントロールに慣れていないと
アンコントロールのまま不安定な状態に陥ってしまう可能性が高い。
私の体感からして、状態の良い肉体の中、アウェアネスの中でそれらが行われないと
方向が定まらず、体そのものが崩壊して崩れてしまうこともあるだろう。
それくらい大きなエネルギーを扱うことなのだ。
そしてうまく上がりきらなかったエネルギーは再び冷たく固まって行く。
アサナとプラナヤマは、ライトな意味では
満たされていない部分を「癒して行く」という効果もあるだろう。
現代人(特に都会の人々)の多くはヨガにこれを求めているのかもしれない。
そしてある程度必要な癒しが終わった段階に行ったら
心身を日常的に浄化して行くという歯磨きのような意味があると思う。
そして最終的には
こういったハードなワークとハードな瞑想に耐えうる
アウェアネスと身体を作るという大きな本当の意味があると思う。
そしてそれが成された時に、恐ろしいほどに深い意味での
ヨガの本当の意味と効果を知るのだろう。
そのための準備が成されれば、さほどたくさんのテクニックもいらないのだろうと。
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これだけの深い意味をパートナーと共有できることは本当に幸せなことだ。
私は常日頃、
なぜ生きるのか、どう生きるのか、
死んでどうなるのか、どのような世界を作っていきたいのか、
パートナーとは常にここを共有していきたいと思っている。
そしてそのクリエイションを一緒に行って行くためのパートナーシップでありたいと思っている。
それが私にとって人生のベースであり目的でもある。
夫婦でヨガに取り組み、ブレスワークや瞑想まで取り組んで行けるようになって行くことは、私たちのクリエーションの質と精度を高めて行くことにつながる。
私たちの内側の闇=無知に光を当て
見えること、知っていることを少しだけ増やしてくれる。
そのおかげで私たちから生まれてくるクリエーション、表現の質が
より純粋になって行く。
私たちの「質」が純粋になっていけば行くほど、
この世界を調和の状態に誘うバイブレーションを発することができるようになって行くだろう。
自分自身を見つめて、深めて満たして、発して行く。
その先は結局やっぱり世界調和。
それしかないのだ。
そして、 外側の世界に働きかけたいときに
やっぱり必要なのは内側の調整なのだ。
まんまるな円のように、二つの調和は繋がっていて
どちらからいってもどちらかにつながるようになっている。
内側を育んでいるようで
外側を育んでいる。
外側を作っているようで
内側を作っている。
ただこの地味な作業を続けて行くこと。
そのことに勝る平和活動はないのだと思う。
そして、全てが「平らな」平和ではなく。
全てが「調べ」となり、共鳴し、波のようにうねりながらバランスを取り続ける
「調和」こそが
私たちの目指す世界なのだと、そう思う。
少しでもそうあれますように。
私は自分がまだ未熟だと知っているから、日常でそれを発動させられるように
そのための練習を続けています。
毎日のアサナはこちら。
毎日の瞑想はこちら。
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