失ったものに気がつく。

ないものに気づくたびに、失ったことに気がつく。



例えば、舞台に上がるのに必要なベージュの下着がないとか、

冬服を持っていないとか、

子どもの冬服の着替えが全然たりないとか、

運動靴がないとか、雨具がないとか、


今まであたりまえにあって、

スッと用をたせていたものが無いものだから

「今、買うか」「来年買うか」「ネットで買うか」

「ミシン買って作るか」「生地を買いに行くか」「我慢するか」

「量販店でファストファッション的なものを買ってしまうか」


頭の中で会議をしてから、結局

「今は忙しいから我慢」ということで

夏服を重ねまくって対応したり、毎日同じ服を着たり

子どもにも未だに半ズボンを履いてもらったままにしている。



そんな時、今まで非常事態すぎて日常的に必要なものが必要と感じなかったし

普通の暮らし以外に考えなきゃいけないこと、対応しなきゃいけないことがありすぎたから

「失った」って感覚がなかったのだけれど

半年たって季節が巡り、

今更ながら

「実はすごいものを失ったんだなぁ。」

とびっくりしている。


人には気付かれないようなところで

なかなかな不便さを味わえていて

その中でちょっとした我慢や工夫をして乗り越えているということは

とてもラッキーなことで、

毎日の不便さを乗り越えるたびに

筋力みたいなのが鍛えられていて、

自分の中に深みと真実のようなものが確立されていっている感じがしている。


あたりまえがないのがあたりまえの私たち。


周りの要求に状況のギャップを感じて

グッと違和感やストレスを感じることもある。

そんな時はこちらが受け入れて努力するしかない。


電気がないとか

鏡がないとか

扉がないとか

お湯がないとか

整理整頓する場所がないとか

寒いとか

壊れてるとか

重いもの運び続けるとか

蚊に刺されるとか

自分のスペースがないとか

自分のペースで暮らせないとか

仕事ができないとか

ヨガができないとか

収入がないとか


だけど本当に美味しいとか

力がつくとか

知恵が目覚めるとか

毎日学びがあるとか

愛を感じるとか

家族を超えて家族を感じるとか

絶対に助けてくれる安心感とか

愛おしさとか


この不便さを体験し尽くして、

得られるものを体験し尽くして


その中に見える自分の心の癖を

発見してすぐに手放せたり。


その中で燃えるように見えてくる

「やりたい」という想いとか

主体的に生きたいという気持ちとか。


環境の中で変容していく自分自身の振り幅が大きくてびっくりしている。


あぁ、「全部失う」という儀式を受け取った上で

なんて素晴らしい奥深い学びを得ているのだろう。


こんなに急速に

自分が大きくなれるなんて思いもよらなかった。


失うことはリスクかもしれないけれど

大きなチャンスであることは間違いない。


環境が変わることは必ず、自分の中に変容をもたらすのだから。



今日も夏服を重ねて寒さ対策。


お互いの魂が成長し続けているから

家族のバランスも抜群。


進化し続けよう。

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